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K.imae Today's Tips 1778『エアリアル・レジェンド(長文)』


読みたい人だけ暇な時に読んでください。

徒然なるままに。



EG30周年記念限定復刻と言う回顧的ニュアンスも手伝ってか、
横浜ショーでも話題だったエアリアル。

物凄く誤解されてる人が多いなと言うのが本音。

25年前のエアリアルを30周年にあわせて復刻したのでは全くない。

実は癌から復帰した2009年頃から、自分はスピニングのあるテクニックに関し、
野球でよく言うイップス状態になっていました。

癌で2007年第2戦以降を欠場するまで、自分は20年近く
トップカテゴリー平均年間ランキング3位前後をキープした。

しかし復帰以降10年、何とか年間ランキング5位以内には数度戻ってはいるが、
ここ数年は年間10~25位前後と言う不本意な順位に喘いでいる。

その原因は加齢によるところもあるが、
自分が出来なくなったテクニックがあることに気が付いていた。

それが「ダウンショット」である。

それも、何故か自分の看板テクの一つだった「シェイキング」が出来なくなっていたのだ。

それを「ハードベイト」や「ベイトフィネス」「サイトフィッシング」
と言った新たなスタイルへの転向で誤魔化してきたのが事実である。



過去の戦歴で最大の安定感を誇ったダウンショットを自分がほとんど使わなくなったのは、
実は上手く「使えなくなった」からに他ならない。

しかし、近年、ベイトフィネスが当たり前に普及し武器としてのメリットを失い、
目の遠近感の急激な悪化と共に、自分のスタイルに限界を感じていた。

4年前にテニスエルボーになり、それをかばって頚椎ヘルニアになったことで、
さらにダウンショットを使う事はなくなっていった。

自分のノーフィッシュ率がTOP50プロの中でも特に高いのは、
ダウンショットが全く試合で機能させられないことに一因がある。

それが自分では解っていたが、それを隠そうとしてきた。

スピニングでの繊細なシェイキングが出来ないという事実を知られたくなかったのだと思う。



激化するフィネス戦争のTOP50で生き残るために、
スピニングではデジーノ神谷の力を借りたこともあった。

しかし、より繊細で癖のあるソリッドティップに依存することで、
自分のスピニングは更に混迷を深めていく。

結果的に自分らしさだった「積極的ダウンショット」から逆にどんどん離れていってしまった。

フィネスをあきらめ、開き直って真逆の攻め方向に振ったセルペンティシリーズに
「ダウンショットロッドがない」ことがその証だ。




そんな苦渋迷走の中、3年前、藁をも掴む気持ちで
25年前のエアリアルを自宅倉庫から探し出し、

最強の安定感を誇った往年の自分の積極的シェイクをもう一度、思い出そうとした事があった。

その時、25年前のエアリアルが驚くほど手首に優しく、
「イージーシェイクなスピニング」だった事に衝撃を受けることになる。

「甘いシェイク」と言うか、とにかくシェイキングが
簡単に思える独特のブランクスのダルさが際立っていた。

それから自分が各方面に旧エアリアル3兄弟を探しまくって、
研究改造のため集めていた事はご存知のファンも多いだろう。

数名のファンからはエアリアルを試合会場でプレゼントしていただいたこともあった。



ただ、当時のエアリアルのガイドは今の3倍近くも大きく重いゴールドサーメット。

しかも僅か6個のセッティングに、
今の世なら感度もクソもない無骨なフード式ストレートグリップ。

巨大で少ないガイドは致命的にキャスト精度のブレを生じさせ、
太くてストレートなグリップはおよそ今の繊細な操作性には遠く及ばない。

ただ、スラックを扱うブランクスの振りの優しさは、
既に「シェイキングロッド」として完成されていた。

いやむしろ、この時代の「純度の低いカーボン」と「ボロン強化バット」の奇妙なコンビこそが
一番、スピニングに適した「ダルさ」を持ち合わせていたのかもしれない。

低レジン、ピュアカーボン、高弾性高強度において
世界最先端の技術を持つ日本のカーボンシート業界が、

釣竿のためにだけ適したカーボンシートを開発しているわけがないのだ。


エアリアルを復活させたいと思ったのは今から2年半前。

それは自分だけの「ダウンショットロッド」をもう一度、復活させることだった。

それが自分の今後のトーナメントでの死活に関わる事態だったからだ。

しかし、それは思いのほかに苦しい道のりだった。

まず、レシピは解っていても、25年前のカーボンシートはもう二度と手には入らない。

それと極めて近いダルさを出せるカーボン素材を手に入れるのに1年以上の時間が掛かった。

ボロンの再現も、25年前とは全く違った手法でバット部分にのみ採用に至った。

そして当時はロッドを焼く前に形成するために巻き上げるテーピングのピッチが
今より遥かに粗く、その粗さゆえにカーボンの「刃紋」が美しく見えた。

マイクロピッチテーピングが当たり前の現代では、あの刃紋の再現が物理的に難しい。

マイクロピッチを使いながらも刃紋は残す、性能を殺さず
「エアリアルの刃紋」を再現することにも拘ったため、更に時間が経過した。

気持ちは技術に少なからず影響を与えると思っているからだ。




そして、一番苦悩したのはガイドセッティングだった。

ブランクス自体はほぼ完全にエアリアルを再現しても、
25年前とはガイドが決定的に違いすぎるのだ。

では25年前のガイドが優れているのか?

ある一面では優れている部分もあるが、総合的に見てそれを使う価値は今はもうない。

クラシックカーがどんなに頑張っても、ハイブリッドカーの快適さに適わないのと同じだ。

ガイドを超軽量化し、個数を増やすとブランクスは本来の弾性を維持するため張りがでる。

エアリアルレジェンドに、旧エアリアルにない張りを感じるのはそのためだ。

しかし、実際にラインを通し、水上でDS使い、積極的ハングオフを仕掛け、
魚を掛けたとき、限り無くあの感覚が再現できたと自分は確信している。

誰よりもエアリアルを知っている当の本人なのだから。



そして最後の最後に、どうしてもキックバックが強くなる原因が
グリップ内部のカーボンパイプの弾性から来るものとようやく解明し、

エアリアルのグリップ内部には敢えてグラスコンポジットパイプを採用することで、
あのまろやかな反発を最終的に再現するに至った。

それに伴いバランス調整の過程で6フィートから6フィート1インチへと移行した。

そして昨年、エアリアルで遠賀川での予選首位、表彰台を獲得したことで
自分の中でようやく再現の完成が見えてきた。



自分は懐古主義や記念復刻などで、自分の歴史的銘竿エアリアルを復活させる気など毛頭ない。

あの時代は自分の中でとっくに完結している過去に過ぎない。

自分にとって今が一番大切であり、迷走の末、未来を切り開くために
行き着いた先にDSロッドとしてのエアリアルがあった。

そしてそれが本当に偶然にもEG30周年に合致しただけなのだ。



今年のショーで30周年記念ロッドとして、触れる展示ロッドが
エアリアル1機種だけである事がそれを証明している。

2年以上かけてようやくダウンショットロッド・エアリアル1本を再現したのであって、
ミドストロッドとして再現過程にあるスーパーエアリアルはいまだ遠く完成を見ない。

30周年にあわせてEGスタッフ全員が昔のロッドをそのまま復刻したら、
それは今の自分達の否定にしかならない、意味のない事である。

釣り人は良い想いをした過去からなかなか抜け出せず、
自分の視野を自ら狭めやすいところがある。

ただ、確かに過去の遺産、レガシーが未来を切り開く手助けとなる知恵も数多くある。

過去を否定せず、しかし過去に縛られず、今を生きるために
一歩づつでも常に進歩していきたい気持ちを忘れないようにしたい。

電撃がラピッドガナーとしてフォアグリップを捨てた時、
それは電撃が遠い過去に思える本当の意味でのロッドとしての正統進化なのである。



これ以上のエアリアルと電撃の、ロッドビルドに関る深い話を聞きたい人は、
是非、EG30周年トークショーに来てください。

 

 

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