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K.imae Today's Tips 1533『天王山第4戦を振り返って』

試合翌日の朝。目覚めた時が何かと一番堪える。

今朝の目覚めはどう感じるかと思っていたがやっぱり相当、自分の不甲斐なさに落ち込んだブルーな朝だった。

今回の試合内容は全てルアーマガジンの取材班が3日間密着撮影していたので、詳細は月末の記事で公開されるが、
公式練習終了時点までは自分なりに今季一番自信と手応えで臨んだ試合だった。

今試合では練習で掴んだ「強」、「中」、「弱」の3つのシークレットルアーを念入りに準備していた。

そのプリプラクティスで掴んだ手応えは、直前の公式練習では更に力を増した感じすらした。

10日間の練習時点では、「強」と「中」の威力は抜群で、
最悪でもバックアップの「弱」の手を使えば、4kgはほぼ確実だと確信していた。

公式練習2日目にその手応えは絶対的確信に変わり、これ以上釣る必要なしと感じ、
昼過ぎには体力温存のため滅多にない早上がりをしたほどだった。

しかし、「好事魔多し」、全ては雨続きだった延べ10日間のプリプラクティス、公式練習中、
一度もなかった完全な秋の晴天微風が本戦3日間続くとは思っていなかった。

しかも天気予報では初日は雨予報、2日目午前まで曇りの予報であり、
総重量制のTOP50で初日に5kg近い程度のビッグウェイトを出し、早々に逃げ切る戦略を立てていた。

だが、その目論見は公式練習終了の夜、突然、快晴の予報に変わったことで全てが崩れ去ることになる。













天王山第4戦予選初日、朝から今年初めて見る快晴の桧原湖で試合は開始された。

この時点でまず状況変化的にも「弱」のルアーで手堅く様子を見ることが冷静な判断だったのだろう。

しかし、その冷静さを欠くほど、練習でのパターンは強力で、
たとえ晴れてもそこそこ通用する「はず」と強気に出たことが全ての間違いだった。

雨、曇りがほとんどの練習で、その威力を遺憾なく発揮したルアーは、晴天の、しかもTOP50選手の
本気プレスの中ではほぼ完全に機能しないことに気付いたのは既に試合時間の大半を浪費してしまった後だった。

慌てて「弱」パターンで予選通過最低限リミットと考えられていた3500gを揃えるつもりが、時間の無さと焦りで釣りが落ち着かない。

すぐに「中」や「強」に戻したり、中途半端にラージ狙いに出てしまい完全に落ち着きと集中力を欠いてしまった。

単独行動する自分の視界には、大場所で大船団となった選手達が次々と入れ替えをする姿が入ってくる。

「こんなはずでは…」そう思う焦りが、全ての歯車を狂わせた。

初日3300g。40位。

最悪でも3600g程度は楽勝と思っていた結果が、ゼロに等しい最悪の結果になった。

予選通過の30位ラインはやはり3500g後半。
上位は4300gをトップに3800~4000gで上位となる僅差接戦となった。

予選通過ラインまでその差は僅か200g強だが、数字以上にその差は絶望的に大きい。
何故なら大場所の船団で釣っているほとんど選手が毎日3500gまでは当たり前に釣ってくるからだ。

予想予選通過スコアは2日で7200g。7000gではゼロ、実に何も釣っていない事と同じで、
3600g以上からが予選通過の有効ウェイトとなる。

自分が予選を通過するには最低でも7200g‐3300g=3900g

初日の上位ウェイトに匹敵するウェイトを2日目に持ち帰り、
予選通過に必要な順位ポイント、重量共に上位で2日目をクリアしなければその時点で自分の試合はジエンドとなる。















初日終了後、昨年の悪夢が蘇った。

年間4位で迎えた昨年の第4戦、メタルクローの釣れれば圧倒的なサイズに、初日に無理を押し通し過ぎ43位。

2日目、逆転ビッグウェイトを狙って更に強い釣りを押し通してしまいあの桧原湖のノーフィッシュ、
人生初の最下位に終わり年間はなんと29位に大落下。

試合も年間ランキングもこの時点で全て潰えた。

そして今年、年間3位で迎えた第4戦同じ桧原湖は初日40位。
またしても昨年の悪夢とほぼ同じ展開となってしまった。













しかし、昨年と大きく違う事実が在った。それは初日40位に落ちながらも暫定年間順位はその時点でまだ7位に踏みとどまっていたのだ。

これは、今回のAOYレース天王山戦を迎えた上位ランカーのうち、
青木選手と小森選手以外が、自分と同じミスを犯し致命的なロースコアに終わっていたのである。

この事実が絶望感に我を見失いかけていた自分に冷静な判断をさせる唯一の幸運だったと言えるだろう。

一晩、考えに考えて、翌朝、快晴の空を見て、自分が最も確実にバスを手に出来るワンスポットで粘りきり、
確実に数を釣って入れ替えで確実にウェイト積み上げていく手段を決めた。

練習の成果も捨て、ラージ狙いも捨て、上位入賞を捨て、ただひたすらにマイスポットでフィネスに徹し数を釣り、
どんなに地味でも、一箇所に全時間を費やしてでも3900gを確実に積み上げる釣りに全てを賭けた。

もしこの選択で予選落ちしたら、自分はまた引退をも考えた最低最悪な気持ちの朝を迎えていたかもしれない。

予選2日目、朝から「弱(イマエビ改)」のパターンでフィネスに徹し、
3時までの時間をほぼ一箇所にフルに使いきり、数十グラムの入れ替えを繰り返し地道にウェイトを上げた。

ラスト30分前、最後の750gを入れ、バネ計りでの計測ではウェイトはギリギリ最低目標の3900gあるなし。
微妙なウェイトに終わった。後は他の選手のスコア次第…。











そして運命の検量、スコアのコールは3900gに10g足りない3890g。

初日、15gの差の中に、5名もの選手が並ぶ超僅差のこの試合、この10gが自分の命運を握る。

応援に来てくれたチンペー君が「今江さん、通ってください」と声を掛けてくれたが、
「それはバスに聞いてくれ」としか答えられなかった。

予選終了結果が1位からコールされる。30位以下は予選落ちでその時点で試合終了だ。

28位の選手がコールがされた時、正直、予選落ちを覚悟した。















しかし次の瞬間、遂に自分の名前がコールされた。

絶望的40位から29位へのジャンプアップで予選を通過、
自分のウェイトは7210g、31位の選手が7145g、実に65gの差での奇跡の通過だった。

予選通過ごときで喜ぶようでは情けない話だが、自分の理想を捨ててでも、最終戦へ望みをつなぐために、
なんとしてもこの天王山を超えるため耐え切った意味は大きい。

カッコよくも無く、泥臭く地味な戦い方だが、今の自分にできる最強の戦い方であり、
耐えること、我慢することで、53歳にしてまた一歩成長できた気がする。


















そして決勝。
30位以下になることが無い決勝では、ここ数年、無謀な強行勝負ばかりしてノーフィッシュで終えてしまうことがほとんどだった。

しかし、今回は1つでも順位を上げることに迷いは無かった。それが必ず後で大きな意味を持つと信じて。

2日目のスポットを釣り切る覚悟で望んだ決勝。既に2日目で枯れかけていたスポットから執念で搾り出し、朝1時間でリミットメイク。

入れ替えを10回程度繰り返した。

しかし、ここで大きなミスが出た。バネ計りのメモリを朝にゼロ調整したのだが、
20数本ほど釣っては計るを繰り返すうちにどこかで30gほどゼロ調整が狂ってしまっていたのだ。

最初に測ったバスより、どこかの時点で釣ったバスの重量が30gほど重く出ていることに気が付かず、入れ替えミスしていたのだ。

自分では3700g以上はあると思った決勝スコアは、予想外の3610g、もう少しはジャンプアップできたチャンスを油断から逃してしまった。

第4戦最終順位は23位。優勝を狙いながら、結果だけを見れば平凡以下のただのホゲ試合。
一般的にはなんの価値も評価もないかもしれない。



















だが、今回に限れば、この第4戦桧原湖23位は結果論、値千金の23位となった。

本当の強さとは攻める強さだけでない。常に勝つ力だけでもない。

苦しい時に耐え続ける忍耐と、諦めない心の強さこそが今は本当の強さなのだと思うようになった。


一ヵ月後、TOP50シリーズランキング2位で迎える2017年TOP50最終戦霞ヶ浦北浦戦。

現在、最強時代を迎え、首位独走態勢に入った青木選手に勝てるとは思ってはいない。

端から53歳のオッサンなど、青木は相手にもしてないだろう。

しかし、予想もしえないハプニングが毎年、起こるのもTOP50最終戦AOY決定戦の面白さ。

勝負は下駄を履くまで判らないもんである。

現最強青木選手に元・最強無敵のヒール、今は初老のオッサン社長プロが少しは冷や汗かかせてみたいね。

こうして若者にオッサンがガチで挑める数少ない競技、それがまたバストーナメントの楽しさですね。

 

 

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