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2014年TOP50シリーズ敗北宣言。
今の自分に足りないもの。本当の敗因はわかっている。
それを克服したとき、必ずもうひと山くる。



2014年TOP50第4戦桧原湖が閉幕した。過去32年、トップカテゴリーのトーナメントを戦い続けてきたが、ここまで毎試合、気持ちと結果が噛み合わない年は初めてである。今回の試合を振り返ってみると、全く攻めに出ることなく負けて当然、何も得るものすらない並以下の試合展開をしてしまったように思う。

今回の試合は新しく導入する設備投資と来期からの新規事業のアレンジで、TOP50シリーズになってから初めて2日半しかプリプラクティス日程がとれなかった。その練習不足もあり最初から攻め手に欠ける展開となった。
何とか予選2日間はリミット優先の守りで、16位で予選を通過、決勝に望みをつなげた。
しかし、2日目終了直後に前触れも無く突如、激しく体調を崩すアクシデントで決勝は朝から集中力を欠き、桧原湖としては考えられない僅かキーパー1尾のみと言う史上最悪のスコアで試合を終えることになってしまった。


2日目はかなり挽回し16位で決勝に。
しかし、予選は船団で釣り競っただけ。自分のスタイルとは程遠い姿。


桧原湖戦の結果は28位。得意としている湖だけにここで挽回を喫する予定だったが、年間順位は最終戦を残し過去最低順位の30位。今だかつて自分が最終戦を残してこの順位にとどまるなど、想像すらしたことの無かった順位である。
振り返ってみると、自分自身、今年はバス業界の急激な低迷に加え、公私共に集中力を乱される出来事が多く、試合に対するモチベーションが明らかに低下し、闘争心を欠く状態が続いていた。今試合はこれまで我慢してきた疲れの蓄積が遂に一気に露呈してしまう形になってしまった。

32年間のトーナメント生活でこれほどのスランプ状態に陥ったことは記憶に無い。しかし、逆にトドメとなった今回の最低最悪の結果は、本当の意味でこれ以上落ちようの無い所まで落ちた事で、試合直後は開き直りに近い開放感を感じていた。23歳の頃から拘り続けた「最強」の二文字に雁字搦めになっていた重い重い鎖が解け、肩の荷が下りたような気すらしたほどだった。


試合終了直後、何故か笑みさえ浮かべていた。
悔しさを感じなくなった時、それは自分がトーナメントを辞めるときだ。


しかし、その気持ちは今、数日が経つにつれ、このままで絶対に終わってたまるかという強烈な緊迫感、久しく感じていなかった激しい闘争心へと変わり始めている。我ながら50歳になっても20代の気性と何も変わっていないことに呆れてしまう。だが、それが自分のバスフィッシングの原点なのだろう。

幸いなことに自分にはまだトーナメントを本気で続けることの出来る体力と築き上げた環境がある。今試合で昨年から延々と悩ませ続けられてきた右肘上腕骨外側炎も優れたドクターとの出会いがあり、ようやく利き手を7割程度は使えるようになった。3度も手術した椎間板も、ファイティングチェアを外せそうなほど回復してきている。体力的にも癌を克服した頃に比べれば今の方が遥かにいい。

まだ最終戦を残してはいるが、これからは一挑戦者として開き直った気持ちで、自分本来のスタイルであるトーナメントのみに集中するための磐石の態勢を来季に向けて構築する。
そして、TOP50に伝わる「50歳になると年間では勝てない」説を必ず打破してみせる。
来年は自分にとって大きな転換の年となるだろう。


初日、帰着遅れ失格でネジがぶっ飛んだ馬淵、予選2日目にモグチャとダッドカットを使い
オールラージで桧原湖史上最高記録の6300gをマーク。
10年に一人の逸材を衝撃的な釣りで証明したが…最終30位。
毎年、シリーズ各戦順位はAOYの予選でもある。
運を極限まで排除し、真の強者と認められるためにはAOYを複数回、取らねばならない。

 

 

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