HOME < K.IMAE Top Secret

2010年を振り返っての巻
2011年は全てを一新、苦難を克服した「新生・今江克隆」を皆さんにお見せします。



2010年も間もなく終わろうとしている。振り返ってみれば自分にとって2010年は2007年に癌が発覚し、その後肉体的にも精神的にも最も辛く沈んだ2年から、ようやく死に物狂いで水面に這い上がる事が出来た年だった。

今だから言えるが、もし今年も年間成績で5位以内に復帰できなかった場合、自分の戦歴を汚すとか、試合が好きだから辞めないという以前の問題で、現実的な肉体的限界から引退は避けられないと思っていた。それだけに歯を食いしばって全盛期並みの練習を自分に課してきたが、肉体的苦痛は想像以上だった。摘出手術の影響で体温調節機能が正常に働かず、気温の急低下や大雨の試合では黒帯映像で見ても明らかに身体が硬直し、まともに行動が出来ていない。朝の平均体温は35度台、自分で見ていて恥ずかしい程、身体が動かないのだ。

開幕戦野村ダムでは、振り子リグで九死に一生を拾った。
急激な寒波さえなければ優勝が見えてした試合だけに無念だった。
この時の写真のリグはダミーでした。
1年も黙っていてスイマセン。

しかし、取材を控え練習に重点を置いた分、3日に1度はトップウェイト級スコアを今年は何度も出す事が出来、その重量ポイントのおかげもあってベスト5への復帰を果たす事が出来た。しかし、今の自分は自分一人でトーナメントを戦っているのではない。このベスト5へ復帰できた影には、2年間不調に喘ぎ続けた自分を見捨てることなく、公私に亘り支え続けてくれた大切な人達の応援と後押しがあったからに他ならない。その期待に応えるために体と心に鞭打ってでも、たとえ今シーズン限りで身体が壊れようとも、本当に死に物狂いで掴みに行った「蜘蛛の糸」がベスト5の椅子だった。

苦手な霞水系だったが、考え方を変えるとバスがハッキリ見えてきた。
3日目、優勝を目の前にした途端、それが出来なくなった。
しかし、この1戦は確実に自分を成長させた。

2007年までの自分なら不調だったなと思う程度の5位だろう。しかし、この5位は自分にとってかつての5位とは全くその意味が違うのだ。それは3度のAOY、2度のTOP50、クラシックの頂上に立った時よりも、遥かに重い、重い価値を持つベスト5復帰なのである。そして何より、今は支えてくれた人達に感謝の気持ちでいっぱいである。

檜原湖でもスモールのみの5尾なら大会トップウエイトを出した。
爆発力が戻った事、3日に1回の爆発で年間5位がとれるなら、2011年は3日中、2日爆発させよう。

振り返れば6位の福島選手との差は僅か1点(実質年間ウエイトで大きく上回っていたのでルール上は2点差)。1年間戦い続けた結果が僅か1点差。それが今年の自分の力であることも認めなければならない。ただ、バスフィッシングの女神は、最後の最後にその1点を自分の気迫と執念に免じて与えてくれたのだろう。

天王山となった旧吉野川戦では、大会トップウエイト6400gを記録、またしても優勝王手を掛けるが、2日目でほぼ2位が確定し満足してしまった自分がいた。
来期は全戦激飢餓状態で試合に臨む。

私がここまでトーナメントに固執してきた事。その理由はもちろんトーナメントが好きだからに他ならない。しかし、それ以上に、絶対に病気に気持ちが負けて自分のトーナメント人生の幕を引きたくはなかった。自分がトーナメントを辞める時は、コイツになら日本のトーナメントの将来を任せられると思える若手が出て来た時と決めている。
かつて会社員をしながらトーナメントを続けていた時、自分の最終目標は日本のトーナメントが社会的に認知され、会社の同僚に胸を張ってバスプロ選手ですと言える時代が来る事だった。地域活性化にトーナメントを通じて社会貢献し、バスフィッシングを公にアピールする事、そこに一筋の可能性を追い続けてきた。

阪神選手の協力で、サメウラ湖でのTVイベントは大成功。
地域の方々がバス釣りを通じて喜んでくれる事、そんなイベントを2011年は2回は開催したいと考えている。

しかし、時代は想像以上にバス業界を急速成長させ、「商売」としての魅力に誰もが夢中になってしまった。その結果は既に知っての通りだ。幾ら試合が無敵の強さでも、日本の社会に認められない限り、それだけでは何も変わらないのが現状なのだ。まずは小さな地域の理解から、その積み重ねが何時の日か現状を変えてくれるキッカケになるかもしれない。その命運はアングラー一人一人の「社会常識」と言う、当たり前の行動にかかっている事を常に頭に入れておいて欲しい。

2シーズン、苦楽を共にしたレンジャーZ21は小南ガイドに譲る事にした。
来季は戦闘力をMAXまで上げたZ519&マーキュリーXS225トルクマスターで参戦する。

さて、今年を振り返ってみると、良い事も多かったが、それを帳消しにする程、凹む事も同じ位多かった。ただ、昨年と違う点は、その差し引きが僅かでもプラスに出てきているところだろう。占い等は一番嫌いなのだが、厄年とオーバーラップし5年も続いた大殺界は認めたくないが現実として本当に酷かった。2010年、ようやく大殺界を抜け、急には良くなった訳ではないが、明らかに今までの滞留していた水が動き始めた事を感じる。

釣り納め取材は爆風、激雨、落雷、極寒と最悪のになった。日中でも最高気温5度・・・。トドメは初の・・・。

ただ、最後の厄落としなのか、昨日、大寒波の中のロケで生まれて初めて野池で首まで落水して、九死に一生を得る思いをしてしまった。ところが、奇跡的にチェストハイウェーダーと防寒のおかげで浸水は袖口のみ。その後もメゲずに釣り続け、2010年最後の実釣ロケを見事に締めくくる事が出来た。

野池の護岸は要注意。よくある緩やかなコンクリ護岸に見えても、その先はなんと90度に落ちていた。
今回、ずるっと膝までスベって笑っていたら、その次の瞬間、首まで撃沈、一人だと這いあがれなかったかもしれない。
絶対に注意してください!!!

水路は凍ってしまっていて、シャッドが乗っかってしまいます。
こんな中でハマるとマジで死にます。
本当に注意してください。

2011年は私にとって、公私ともにあらゆる面で大きな転換期、未来を見据えた再出発の年になるだろう。そのためにもTOP50は今季以上に全霊を賭け超本気で3度目のチャンピオン獲得を狙う。既に戦闘力を格段にアップさせるべく準備とトレーニングをスタートさせた。振り返れば、この3年はボートに関しても、魚探に関しても、またタックルに対しても、トーナメントに対する妥協なき取り組みが若いころに比べ格段に甘かったと反省している。

ハル、トランサム補強、カーぺットから電装系、バランス調整までフルレストアのため潮来に入院中の伝説の黒船。
来季霞戦専用にマーキュリーオプティマックスXS300トルクマスターを搭載し、完全に新艇として復活する。

2010年は自分にとって復活の「序」、そして自信と言う最大の武器を取り戻した2011年は「破」。自分のメーカーとしての原点、「試合で勝つための武器を自らの手で生み出す」、その原点にもう一度回帰し、もっと今江克隆らしく、そしてイマカツらしい物づくりに全力で挑んでいきたいと思う。

真冬でも釣りに行きまくる事。それが自分の開発スタンス。
厳しい時にこそ、何かが閃く事もあるのだ。

今年1年、いや、この地獄を見た3年を親身に支えてくれたファンの皆さん、本当に有難うございました。来年は「憎まれっ子、世にはばかる」稀代のヒール復活になるよう、全力で頑張って行きたいと思いますので、何卒、応援のほどよろしくお願い申し上げます!



みなさん、よいお年を!来年は超全開、で走ります!
(ちなみに今日はエリート5・・・・メチャクチャ悔しいからダイナマイト見てます。)

 

 

TOP OF THIS PAGE