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霞ヶ浦戦を終えて…そしてこれからの巻
凹んでます・・・霞戦後の気分はこんな感じです・・・。

腰椎神経を2か所破壊し、7年ぶりにチャンピオン300Xを復帰させてまで臨んだ霞ヶ浦水系戦は、その甲斐もなく再び予選落ちと言う結果に終わった。正直、今回はかなり凹んでいる上に、相当な負担を身体に掛けたせいか、試合後3日間、全身の痛みでほとんど動けない程、酷い一週間になってしまった。
ただ、今回の霞ヶ浦水系戦敗戦の原因は開幕高滝湖戦のような体調不良が原因ではない。私もプロである以上、この試合のためにあらゆる手を尽くし切り、試合本番の5日間はほぼ完ぺきに痛みと電撃を抑え込むことに成功し、最悪の中の最善で望めた事は間違いない。
事実、TOP50選手の中でも最も長距離走を連日敢行した一人だと言えるだろう。

昔の自分なら、この程度の荒れ方はなんの恐さも感じなかった。しかし、今は恐怖との戦いに勝つことがまず第一の難関だった。

敗戦の主たる原因は、かつて琵琶湖全域戦で何度も苦杯をなめたときと同じく、相変わらずの爆走癖、全域を走りまわり、全ての引き出しを開け尽くさなければ気がすまない悪い癖が完全に裏目に出てしまった。現実、初日、2日目でトーナメントエリアのほぼ全域を走り切っていた。そして「丁寧、スロー」がキーワードだった各スポットおける釣りが、過剰な走行とアドレナリン噴出のゆえにか、強引かつ、雑になっていたのが主たる敗因である。ただ、最も本命視していた勝負場所、1時間以上のロングランとなる東浦恋瀬地域のベストエリアに並みいる高速バスボートを撃破し一番乗りするも、11時ごろから吹き出した風に恐怖を感じ、ノーフィッシュで安全な風裏エリアまで戻ってしまった事が今の自分の心理を全て象徴しているのだと思う。結果的に上位陣はこの恋瀬で風が吹き出してからビッグフィッシュを手にし始めた事を後で知ることになる。

プリプラでのメインエリアは会場から最遠距離となる東浦恋瀬周辺、最初は絶対に行ってはならない距離と思っていたが、結局、そこへ行く勇気に価値を見出してしまった。

今回の試合は私にとって、前に出る勇気を試された試合に思えた。それは風波をものともせず、あの広大な霞ヶ浦と正面切って向き合えるか、それとも臆病に徹して風波の影響のない、ビッグフィッシュの可能性は低い北利根〜常陸利根でキーパーをコツコツ狙うか。皮肉にも前日プラでは最下流でナイスキーパー連発の非常にいい場所を発見していたのだ。

前日プラで非常に面白い釣り方、特殊なスポットを発見し連発。しかし何故か、このエリアに来る事はほとんどなかった。

しかし、試合が始まる朝まで散々悩んでいたが、スタートの合図と共に無意識に身体は最遠距離となる東浦最奥部へとバウを向けていた。心の奥にはビッグレイクでバスボートのポテンシャルを100%生かして勝つ事ここそが自分のバスフィッシングの原点であり信条であった以上、最初から戦わずして平穏な最下流に向かう事を拒否してしまった。それ以上に、自分の故障の深刻さ、臆病者になる事を認めたくなかったのが本音かもしれない。
2日目も結局同じ事を繰り返してしまった。気がつけば前日プラで本命だった最下流のエリアには2日目のラスト1時間で初めて入ることになる。そしてそこで約1キロのバスを初めて手にし、ラスト5分で2発目の同サイズをデッキ際でバラし、私の霞ヶ浦水系戦は終わった。

今回は完敗である。湖北戦同様、悪い癖が出てしまった。
広大なエリアだが、現実はオカッパリポイントを超ライトリグで釣るのが霞ヶ浦。ここはやはり関東なのだ。

それから1週間、さすがに気分は凹んだ。一番の原因は大本命だった恋瀬から風を恐れて集中力を切らし、最終的に粘り切れなかった事、もう一つはその日の状況にアジャストするのではなく、自分の理想を強引に押し付けてしまった事だ。ただ、同時にこの状態でかなりの荒れ模様となった霞ヶ浦全域を完走できたことは今後への大きな勇気となった。それだけが唯一、収穫だったように思う。

霞ヶ浦全域戦は走る喜びをもう一度思い出させてくれた。
来年こそは万全の態勢でこの借りを返したいと思う。

しかし、勝負とは前に出る勇気も必要だが、それだけでは時に蛮勇となる事を知らなければならない。強い者ほど時に臆病なほど慎重であり、なおかつ時に臆病を超えて前に出る勇気も持っているものだ。臆病と強さは相反しない。これは私が今までずっと「勝負の鉄則」として意識してきたものだ。しかし、自分が置かれた状況を冷静に客観的に見れず、ただ無意味に臆病者になりたくないと思う焦りが、勝負の鉄則を忘れさせてしまっていた。

今年もまた昨年同様、苦しい開幕2戦が終わった。2年前から狂い始めた身体の内部の歯車がどうにも試合では上手く噛み合わない状態が続いている。その原因は長期間の体調維持の難しさもさることながら、何処か狂ってしまった勝負勘を取り戻すために、無理に無理を重ねてしまい過ぎているのが原因のようにも思う。

黒船の花道を飾ってやれなかった事が一番悔いが残る。
再び艇庫で長い眠りに着いた伝説の黒船。
昨日、アメリカからもう一つの黒船が日本上陸を果たした。不死鳥伝説を作るために・・・。

と同時に、これほど試合で苦しんでも、未だ心折れない自分も案外タフだなと妙に感心している自分が何処かにいたりもする。やはりその根底にはバスフィッシングが、そしてトーナメントが心底好きなんだろうと思う。勝っても負けても、こんな非日常的感覚を味わえる世界はない。取材やロケは息抜きの意味もあって、めちゃくちゃ楽しいが、最高峰トーナメントでの勝利は絶対にそこに到達した者にしか味わえない圧倒的に「別格」なものなのだ。ただ、ホゲた試合後の凹み方も別格だが…。

タックルボックスの秘密兵器はこれでした。モジャオマルガリータ。
キモは丸刈りと腕の関節外しカット。いい結果出してたんですが・・・
走りすぎてじっくり釣っている暇なし・・・。

夜なべをして大量に作ったのですが・・・まあでも、
試合に勝ちたいと思うこういった工夫が楽しいんですよね。

確かに凹み過ぎて引退を考えない事もない事もなかったが、全く不思議な縁なのか、今日の時点でラリーニクソンはFLW・TOURケンタッキーレイク戦を予選1位で通過し、現在最終日を僅差の2位で迎えている。実は、霞戦直前、ラリーからメールが来ていた。内容は「何としてもケンタッキーを勝ちたいので、IK-500R2と以前サンプルでもらったIK-450R2、そしてモグラジグを6月5日までに2ダース送ってくれ。」と言う、独自のカラーまで指定したものだった。無論私がそれを間に合わせた事は当然だ。

今も現役で活躍するラリーニクソン。
ただ参加するだけではなく、今も上位争いに加わっている所が凄い。

私がバスフィッシングを始めたきっかけは、小学校6年生の時に初めて見たバスボートのコックピットから手を振るラリーニクソンの写真だった。その姿のあまりのカッコよさに憧れて私はバスフィッシングを始めたのだ。私にとってラリーは今も神様的な存在だ。
そのラリーがこのタイミングで最高峰トーナメントで上位争いを演じ、日本の彼方までスポンサーでもない私に勝つためのリクエストをしてくる。

既に60歳近いラリーが、今もまだ最高カテゴリーでこうして頑張っている限り、さすがに神様より先に引退するわけにはいかんわな…。

まだ暫く我慢の時は続きそうだ。
しかし、“I SHALL RETURN”の気持ちは今も忘れない。

と言う訳で心機一転、某先生も「今は高くジャンプするために深く屈む時期」と言っていた事だし、神様ラリーに負けないよう私もここはじっと堪えて頑張るとしましょうか!

THE RACE NEVER STOPS!!

応援ありがとうございました。
そして愛馬・黒船チャンピオン、ありがとう!!

 

 

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